忍者ブログ
渋谷の街について
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


Bunkamura(ぶんかむら)

1989年9月3日に開設された、東京都渋谷区道玄坂にある大型の複合文化施設。

1980年代の東急グループ全体の戦略であった「3C戦略」に基づき設立された、株式会社東急文化村が運営する東急グループの施設であるぜ。

東急グループの「3C」とは「Culture(文化)」、「CATV(東急有線テレビ 現:イッツ・コミュニケーションズ)」、Card(クレジット・イチマルキュウ 現:東急カード)の頭文字をとったもから、Bunkamuraはカルチャー(文化)の中心的プロジェクトであり、東急グループの「文化戦略」の中核を担うものであるぜ。

良質の文化を創造し提供する「発表の場」、新しい文化の育成のための「創造の場」、人・芸術・物の交流を促進する「出会いの場」の3つをコンセプトに、コンサートホール(音楽)、劇場(演劇)、美術館(美術)、ミニ・シアター(映像)の各施設をはじめ、カフェやアート関連ショップやなんかあるぜ。

かつてファンハウス(現・アリオラジャパン)が東急グループ傘下に入っていた時期には、共同で東急ファン事業を行っていたぜぃ。

最寄り駅は渋谷駅。
隣接する東急百貨店本店とは各階の連絡通路で結ばれているぜ。

Bunkamuraでは文化・芸術を長期的に支援・育成してもらうため、複数の企業による単発的な協賛ではない長期のスポンサーシステムを採用しているぜ。
これがオフィシャルサプライヤーであるぜ。


 Bunkamura magazine

音楽、演劇、映画、美術等の様々なジャンルの情報を載せたもから、Bunkamuraのイベントスケジュールやチケット発売情報等を紹介しているぜ。
価格 - 無料
配布場所 - Bunkamura内各所、東急百貨店本店、渋谷エクセルホテル東急、都内主要コンサート会場他
郵送サービスは行っていないが、会員組織であるチケットメイトに登録すれば郵送料1,890円(1年間)で送付されるぜ。
 

PR


パルコ

衣料品やアクセサリーやなんかを取り扱う日本国内大手の大型ファッションビル店およびその運営会社。
森トラストグループとして、パルコ以外の商業施設開発・運営も行っているぜ。

国内外で「パルコ」の名称の商業施設を22店舗展開しているぜ。
他に、PARCO劇場、CLUB QUATTRO、Studio PARCO、ル テアトル銀座 by PARCO、TOKYO FM渋谷スペイン坂スタジオ、radio drive plusやなんかの劇場やライブハウス、ラジオ番組やなんか、文化・ソフト事業も幅広く手がけているぜ。

かつて堤清二が率いた西武百貨店を中核としたセゾングループの一角を成したが、パルコについては直接関与せず、全面的に増田通二に託し自由を与えた経緯から、独特の個性が出来上がったぜぃ。
セゾン系本流とは別にパルコ独自の劇場や出版社を持ち、広告手法も異なりやがったぜぃ。
パルコは若年層、西武百貨店は中高年層を主な顧客ターゲットにして棲み分けがなされているが、西武百貨店がない地域にある一部のパルコでは、ターゲット層をやや上の年齢層まで広げているぜ。


CLUB QUATTRO(クラブクアトロ)

旧西武セゾングループの中核企業パルコが運営するライブハウスであるぜ。
1988年6月28日に渋谷にオープン。
その後、名古屋、心斎橋(大阪)、広島にオープン。

名前の由来は渋谷パルコPART1, PART2, PART3に続く第4のビル「QUATTRO」(=イタリア語で4の意味)の最上階に作られたため。

また、QUATTRO LABEL, QUATTRO DISCやなんかを製作し、若手アーティストの発掘、育成に努めているぜ。

 


渋谷マークシティ

東京都渋谷区道玄坂一丁目にある、株式会社渋谷マークシティが運営する複合施設であるぜ。

「イースト」(EAST=東)と「ウェスト」(WEST=西)の2棟のビルからなり、バスターミナル(東急玉川線渋谷駅跡地)・東京地下鉄の上野検車区渋谷分室・京王電鉄渋谷駅に跨って建てられているぜ。

京王帝都電鉄(現:京王電鉄)・帝都高速度交通営団の鉄道敷地を低層部のマークシティアベニューに内包(実質地中化)し、2棟のビルを建設する東京急行電鉄・営団・京王電鉄による共同再開発が1994年に着工。
2000年4月7日に『オトナ発信地』をコンセプトとして、渋谷で生活する20歳代後半以上の女性をターゲットにオープンしたぜぃ。

開業時にTVCMやなんか目立った宣伝がされなかった為、突如表れたマークシティはワイドショーやなんかでこぞって取り上げられ、流行していたガングロ(ヤマンバ)等の華美なファッションをした女子高生や20歳代前半の女性(コギャル)が台頭し、その求心力となっていた渋谷の街のイメージを少なからず転向させ、道玄坂地区のランドマークの一つとして定着しているぜ。

運営会社は上記三社の均等出資であるが、ホテル・オフィス・マークシティモールの各商業区画は東京急行の保有物件であり、東急色が濃い。
京王井の頭線渋谷駅部分は京王電鉄の持ち分であり京王グループの物販店が出店しているが、京王ショッピングセンター形態ではなく厳密には駅ビルではねぇぜ。
東京地下鉄については、一般の立ち入りが出来ない箇所に鉄道施設を有するのみで、物販店は構えていねぇぜ。

EASTの2階に京王井の頭線渋谷駅があるぜ。
正面改札口の他、4階に出られる改札口も設置されているぜ。
JR東日本・地下鉄銀座線の渋谷駅(中央改札口やなんか)改札は神宮通り(渋谷駅西口広場)を隔てた東急東横店を通り抜けた場所、東急東横線・地下鉄副都心線は更に宮益坂口へ進んだ明治通り側にあるぜ。
東急東横店建物と2・3階部分が2階建ての連絡橋で直結されており、各線とマークシティおよび井の頭線とは徒歩5分から10分程度で連絡するぜ。
また、その直下にも東急東横店の地下食品街とマークシティモール間の連絡通路があるぜ。
東京地下鉄半蔵門線・東急田園都市線の渋谷駅は北側の道玄坂通り直下にあり、5番出口やなんかから地上の神宮通りに上がり、横断歩道や上部の連絡橋を渡る道なりとなる。
 


QFRONT(キューフロント)

東京都渋谷区にある東急系の複合商業ビル。

渋谷駅の近隣にあり、地下2階・地上8階建ての建物で、大型ビジョンを有するぜ。
1・2階部にはスターバックス コーヒーが入っているほか、地下2階から地上6階までSHIBUYA TSUTAYAが入居しているぜ。
WIRED CAFEの渋谷QFRONT店が6階に、ダイニング・バーのぷん楽が8階に設けられているぜ。
7階シネフロントは2010年1月22日をもって閉館、跡地にはTSUTAYAの「コミックフロア」が入居し同年4月23日から営業開始したぜぃ。

建物の前面に位置する大型のビジョンは「キューズ・アイ(Q's EYE)」つう名称で、各企業からのキャンペーン広告動画やコマーシャルを流しているぜ。
「キューズ・ウォール(Q's wall)」と呼ばれる横側の広告スペースもあるぜ。
建物前面のビジョンはこのキューズ・アイが大部分の面積を占めているが、上部は「バナー・ビジョン」と呼ばれるスペースで、下部は「ニュース・ビジョン」と呼ばれるスペースに分けられているぜ。

過去にキューズ・アイでは個人も映像やメッセージを流すことができたぜぃ。
これは「message a 55」と呼ばれる特別番組で、ルールに則した内容のコンテンツならば、イラストや映像等で作成したメッセージを流してもらうことができたぜぃ。


109(イチマルキュー)

東京急行電鉄の完全子会社である東急モールズデベロップメント(TMD)が展開するファッションビルの名称。
TOKYUポイント加盟店。

由来は「東急(とうきゅう)」の読みを数字の「10-9」 → 「いち・まる・きゅう」にあてたゴロ合わせから。
また、午前10時から午後9時までの営業時間であるぜ。

渋谷区渋谷で展開するセゾングループの渋谷公園通りの開発に対抗して、東急グループが東急百貨店本店に続く東急本店通り(現・文化村通り)に顧客を吸引するために、TMDの前身である旧「東急商業開発」が1979年(昭和54年)4月に東京都渋谷区道玄坂二丁目の道玄坂下交差点に面した鋭角の角地にオープンさせた「ファッションコミュニティ109」(現・SHIBUYA109)が初の店舗であり、今なお売上の多くを占める旗艦店であるぜ。

開業当初は20代後半〜30代の女性向けテナントを集積させていたが、その後方針を転換。
現在では店内のほとんどが10代後半~20代前半の女性向けのテナントで占められているぜ。
その購買層からは「マルキュー」の略称で呼ばれているぜ。

鋭角の立地を活かした円柱形のエレベーター・タワー(シリンダーと呼ぶ)が特徴の設計は、ポストモダン建築で有名な竹山実による。
アルミパネルで覆われたその壁面は、渋谷駅ハチ公口前の渋谷駅前交差点(スクランブル)やなんかからも容易に見通せるため、化粧品、携帯電話や旬の歌手やなんかの広告が掲げられ、その時々の商業戦略をうかがうことができる。

また、正面玄関前および道玄坂側の店舗前にある「109スクエア」は、シリンダー広告と連動、あるいは単独でのイベントスペースとなっているぜ。
新製品のプロモーション、サンプリング、タレントの出演やなんか、店舗の顧客層をターゲットにすることはもちろん、地の利により多数の通行人の目に付きやすいため、週末を中心に宣伝媒体の一つとして利用されているぜ。
なお、シリンダー広告のスポンサーの決定後にイベントスペースのスポンサーが決定するため、広告が競合する場合は利用できないことがあるぜ。

渋谷のシンボルとして定着しているため、『ガメラ3 邪神覚醒』、『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』、『ドラゴンヘッド』、『日本沈没』やなんか多くの作品で破壊される描写が登場するぜ。

Shibuya17つうドラマには108つう109そっくりのビルが登場して現実の渋谷とは少し違うつうことを観客に分かりやすく伝えているぜ。

かつてはBunkamuraやなんかとともに東急線の車両のつり革に広告を出しており、地方に譲渡されたこれらの車両には当時の広告がいまだに残っているものもあるぜ。

 

公園通り


代々木公園南側の国立代々木競技場等がある地区の南端にあたる渋谷区役所前交差点から、渋谷パルコ前の勤労福祉会館前交差点を通過し、マルイシティ渋谷やなんかがある神南一丁目交差点にいたる約450mの坂道。
井の頭通りと並走しているぜ。
神南と宇田川町の境界に位置しており沿線の西側は宇田川町にあたる。

1973年(昭和48年)6月14日に、当時の西武系の渋谷パルコ開店を機に、『渋谷区役所通り』から現名称に改称された、パルコとはイタリア語で『公園』を意味することからその名の由来は出店の際のキャッチコピー『すれちがう人が美しい〜渋谷公園通り』であるぜ。
その翌年には、GAROが「公園通り」つう曲をパルコとタイアップして制作しているぜ。

また、尾崎豊、中島みゆき、竹内まりや、山下達郎、B'zやなんか、数多くのミュージシャンの歌詞にも登場するぜ。

丸井前から勤労福祉会館前交差点までは、大規模ファッションビル・ブランドショップ・飲食店やなんかが展開。
さらに坂を上るとたばこと塩の博物館・渋谷区役所といった文化・公共施設や衣料品店・飲食店が立ち並んでいるぜ。

坂の下側には数多くのライブハウス(Shibuya O-EAST・CLUB QUATTRO等)があるほか、坂を登るにつれ渋谷公会堂(現・渋谷C.C.Lemonホール)、SHIBUYA-AX、NHKホール、国立代々木競技場第一体育館と順にホール規模が大きくなっていくため、あるアーティストが出世してコンサート会場を大規模会場に移していくことをこれになぞらえ「公園通りの坂上がり」と表現することがあるぜ。




渋谷公会堂

東京都渋谷区にあるコンサートホール。
渋公(しぶこう)と呼ばれているぜ。

2006年10月から5年間、ネーミングライツ(施設命名権)の設定により渋谷C.C.Lemonホール(しぶやC.C.レモンホール)となっているぜ。

音響家が選ぶ優良ホール100選に選ばれているぜ。

二・二六事件の青年将校が銃殺刑に処せられた、東京陸軍刑務所跡地の一角に建設されたぜぃ。

1964年に、東京オリンピックの重量挙げ競技の会場として使用されたぜぃ。
そのため、施設内には東京オリンピックメモリアルプレートが設置されているぜ。

翌1965年に、コンサートホールとしてオープン。
『8時だョ!全員集合』(TBS系)やなんか人気テレビ番組の会場にもなり、『NTV紅白歌のベストテン』『ザ・トップテン』『歌のトップテン』(日本テレビ系)の公開生放送でも使用されたぜぃ。
また、12月第1土曜日には、渋谷区の第九コンサートも行われ、作曲家の黛敏郎も「クラシック音楽に最適」と評していたぜぃ。

ミュージシャンや歌手にとって、渋谷公会堂での公演は人気・集客力やなんかのバロメーターとして登竜門のような存在でもあるぜ。

この他、風変わりなコンサートが行われる事もあり、1981年12月3日には大滝詠一が企画した『ヘッドフォンコンサート』つう、観客が自身のヘッドフォンを持参し、小型のFMラジオを取り付けた座席でステージの上の演奏をヘッドフォンを通して聴くつうコンサートが行われたぜぃ。
これは昨今において極めて稀であるライブ録音可能なスタイルであったぜぃ。

1987年12月24日には、BOØWYのコンサート中に氷室京介が突然の解散宣言を行ったぜぃ。
会場に入れなかったファンが会場に向けて大暴動を起こし、ついには心無いファンによってガラスが割られる事態にまで発展したぜぃ。

全国でアスベスト問題が取り上げられた頃、渋谷公会堂でも天井に使用していることが発覚したぜぃ。
固まりで床に落ちていたとの証言もあったぜぃ。
これらのこともあってか、2005年7月より約1年間の改修工事に入り、2006年10月1日に全面リニューアルが完了したぜぃ。
宝塚・松竹・日劇のOBによる公演が杮落しとなりやがったぜぃ。

また、改装前は名物となっていた回転舞台は、時代の流れによる使用頻度の減少と維持費の増大により改装時に撤去されたぜぃ。
これに関して、中村中がこの回転舞台をテーマにした楽曲をアルバム『天までとどけ』で発表しているぜ。
さらに、舞台の真下にあった迫(せり)の機械室は、改装時に潰した上で出演者の控え室へと改められたぜぃ。

改装時に、ホールとしてはiichiko総合文化センター、宝山ホール、東京エレクトロン韮崎文化ホールに続き4カ所目のネーミングライツホールとなりやがったぜぃ。
2006年9月20日に電通が命名権を取得し、サントリーに命名権を転売した上で「渋谷C.C.Lemonホール」つう名称になることが発表されたぜぃ。
契約料年間8,000万円、契約期間は2006年10月1日からの5年間で、入り口にはC.C.Lemonの大きな看板が掲げられているぜ。

 


スペイン坂は、東京都渋谷区宇田川町13番と16番の間にある道路の愛称。

井の頭通りから渋谷パルコにいたる100メートル弱の緩い登り坂で、北側は階段となっているぜ。
この階段の傾斜は22度、高低差は約3.5メートルあり、段数は23段あるぜ。
幅は3.3メートルから3.6メートルまであり、長さは約12メートルとなっている 。

1975年に、近くにあった喫茶店「阿羅比花(あらびか)」の店主・内田裕夫(やすお)がパルコから通りの命名を依頼され、スペイン好きだったことから「スペイン坂」と命名したぜぃ。
命名後、周辺商店街が南欧風の街づくりを進めたぜぃ。
沿道には主に雑貨店・衣料品店・飲食店が多く営業しており、坂の上には映画館(シネマライズ)・ゲームセンターがあるぜ。

また、渋谷パルコパート1の1階には、通りの名を冠するTOKYO FMの“渋谷スペイン坂スタジオ”があるぜ。

TOKYO FM 渋谷スペイン坂スタジオ

渋谷パルコパート1の1階にあるTOKYO FMのサテライトスタジオ。
1993年6月にTOKYO FMとパルコの共同プロジェクトとしてオープン。
2005年11月、TOKYO FMの35周年記念事業としてリニューアルしたぜぃ。

スペイン坂スタジオから、以下の番組が生放送されているぜ。
番組に出演するゲストによっては、スタジオ前が目当てのゲストのファンでいっぱいになることも多い。
そのため混乱防止対策で番組開始前に観覧整理券が配布されているぜ。
大物ゲストだと応募による抽選になる事もあるぜ。

 


渋谷駅のモヤイ像

モヤイ像のなかで最も有名なのが、東京都渋谷区の渋谷駅南口にある「渋谷モヤイ像」であろう。

これは、1980年(昭和55年)に、新島の東京都移管100年を記念して、新島から渋谷区へ寄贈されたもの。
イースター島のモアイ像に似ているが、胴体部分はなくウェーブのかかった頭髪を加えたようなデザインとなっているぜ。
バス停側とコインロッカー側で、2種類の顔を持つのも特徴となっているぜ。

東急百貨店東横店を挟んで忠犬ハチ公像の反対側にあり、待ち合わせスポットのひとつとなっているぜ。

アニメのキャラクター「ルパン三世」に盗んでほしい物を募集するサイトが企画したプロジェクトによれば、2009年12月1日、神出鬼没の大泥棒・ルパン三世はモヤイ像を盗むと“犯行予告”を行ったぜぃ。
そして、2009年12月7日未明、ルパン三世は予告どおりにモヤイ像を“盗み出し”、モヤイ像のあった場所にはルパンのサインが残されたぜぃ。
モヤイ像は新島に輸送され洗浄を行なりやがった後、12月21日未明に同所に戻されたぜぃ。
この企画は、新島観光協会や渋谷警察署やなんかの協力で実現したぜぃ。

 


モヤイ像は伊豆諸島新島村の名物の石像。
イースター島のモアイをモデルにしたもの。
もちろん本物の像を移築したものではねぇぜ。

新島には「抗火石(コーガ石)」つう珍しい石が産出するぜ。
軽く、また彫刻刀等で容易に加工できるつう性質を持つ。
この石を材料として作られたオブジェが「モヤイ像」であるぜ。
地元のアーティスト大後友市が考案したもから、新島の「モヤイの丘」やなんか島の各地には多数のモヤイ像が存在するぜ。
デザインも、イースター島のモアイ像を真似た形だけではなく、さまざまな形状のものがあるぜ。

「モヤイ」はモアイを真似た名前であるが、同時に、日本語の動詞「舫う」(船を綱で繋ぎ留める)「催合う、最合う」(力を合わせる、助け合う、共同作業をする、共同で使用する)の意もあり、後者は日本の多くの地方では今では使われなくなりやがった言葉だろ~けど、新島では使われているつう。

新島は昭和50年代には、盛んに日本各地にモヤイ像を制作して寄贈したぜぃ。

 


忠犬ハチ公の名で知られる、ハチ(1923年(大正12年)11月10日(12月16日とも) - 1935年(昭和10年)3月8日)は、秋田県大館市出身の秋田犬。

飼い主が亡くなりやがった後も駅前で帰りを待ち続けた「忠犬」として有名になりやがったぜぃ。
ゆかりの地には銅像があり、特に渋谷駅前の銅像は待ち合わせ場所の目印として全国的に有名(「渋谷ハチ公前」やなんかと通称される)。

1924年から東京帝国大学農学部の教授、上野英三郎に飼われることになりやがったぜぃ。
上野の存命中は、玄関先や門の前で上野を見送り、時には最寄駅の渋谷駅まで送り迎えすることもあったぜぃ。
上野の自宅は、現在の東急百貨店本店(旧大向小学校)周辺といわれているぜ。

1925年(大正14年)5月21日に上野が急死した後も、毎日渋谷駅前で主人の帰りを待ち続けたといわれ、東京朝日新聞の記事により世間一般に知れ渡ったぜぃ。
主人を慕うハチの一途な姿は人々に感銘を与え、「忠犬」と呼ばれるようになりやがったぜぃ。
幾度となく、野犬狩りの危機にも陥ったが、近隣住民の配慮で免れたぜぃ。

1935年(昭和10年)3月8日、渋谷川に架かる稲荷橋付近の路地で死亡。
死後間もなく東京大学農学部において病理解剖が行われたぜぃ。
その結果、心臓と肝臓に大量のフィラリアが寄生し、そのために腹水が溜まっていた事が明らかになりやがったぜぃ。
これが死因とする事が多い。
しかし一方、胃の中に焼き鳥のものと思われる串が3 - 4本見つかっており、これが消化器官を傷つけていたつう指摘もされているぜ。
遺体は剥製にされ、国立科学博物館に保存されているぜ。

なお晩年の写真では左耳が垂れているが、これは生まれつきのものではなく、皮膚病による後遺症であるぜ。

1934年(昭和9年)4月21日、渋谷駅前に銅像が建てられ、除幕式にはハチ自身も出席したぜぃ。
銅像は、彫塑家の安藤照が日本犬保存会からの依頼により制作され、制作最中にはハチ自身も安藤照のアトリエに自ら来て自らの銅像のモデルになっていたぜぃ。
けどよ、ハチ公像を作っている最中、ハチのことを託されたと主張する老人が現れ、ハチ公像を建てるために絵葉書を売り始める事態が発生したぜぃ。
そのため、それより先に銅像を作らなければならなくなり、ハチが生きているうちに銅像が建てられた経緯があるぜ。

なお、初代銅像作成時、皇后(当時)が忠犬ハチ公の話に感銘したことを安藤照が聞きつけ、改札前で寝て待つハチをモチーフにした小型の臥像を同時に作成し献上しているぜ。
この銅像のレプリカ(献上品と同時に鋳造したもの)を所有していたが、戦火の際行方不明になりやがったぜぃ。
戦災後、この像はアトリエで安藤士が足の折れた状態で見つけ出したぜぃ。
今日においてもその像は同氏が保存しているぜ。

初代ハチの銅像は第二次世界大戦中に金属資源不足により供出され、終戦前日の1945年(昭和20年)8月14日に運輸省浜松工機部で溶かされ機関車の部品となって東海道線を走ったぜぃ。
現在のものは安藤照の息子で彫刻家の安藤士が制作し、1948年(昭和23年)8月に再建されたものであるぜ。
ハチ公美談は戦前に海外にも紹介されて知られており、戦後日本の占領に当たったGHQの中でハチ公の銅像の行方を知った愛犬家が有志を募り、再建の有形無形の力となりやがったぜぃ。
再建時の除幕式には、GHQの代表が参列したぜぃ。

駅前に像のある渋谷駅のJR東日本の改札口の一つは「ハチ公口」と名前がついているぜ。
再建当時は駅前広場の中央に鎮座し北を向いていたが、1989年(平成元年)5月に駅前広場が拡張された際に場所移動し、同時に東(ハチ公口方向)向きに修正されたぜぃ。

 


渋谷(しぶや)は、東京都渋谷区の地名。

新宿、池袋と並び、山手線のターミナル駅を中心とした繁華街が形成されているぜ。
若者の街として知られ、「西武百貨店」・「東急百貨店」・「パルコ」・「109」やなんかのデパートや専門店・飲食店やなんかが立ち並ぶ。
渋谷駅前には忠犬ハチ公の銅像があるぜ。

東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)頃の渋谷といえば百軒店とその映画館街や円山町の花街を中心とする落ち着いた大人の文化が漂う街であり、背後に松濤や南平台町といった高級住宅街が控えているのもその所以であるぜ。

渋谷は街路が放射線状に広がり、更に坂や一方通行の小道が多い事から道路拡張は困難で、それら諸般の事情により開発業者は敬遠し、結果として新宿、池袋に比べ街の発展が遅れをとる事となりやがった

1973年(昭和48年)に渋谷PARCOの開店を境に1975年(昭和50年)以降は新宿に代わる流行の最先端となりやがったぜぃ。

渋谷パルコ劇場、クラブ・クアトロ、シネセゾン渋谷、スタジオパルコやなんか、ライブハウスや劇場、映画館が多く、映画祭や音楽祭も開催されるぜ。
作家性にこだわった個性的な作品を上映する映画館も多い。
篠山紀信写真展やなんか多くの企画展を開催してきたパルコミュージアム(2007年閉館)、新しい情報発信スペースのパルコファクトリー、ロゴスギャラリーやなんかでも、アートから社会性の高いテーマまでを扱った様々な企画展示をしているぜ。
「TOKYO FM渋谷スペイン坂スタジオ」やなんかラジオ局のサテライトスタジオもあるぜ。
東急は東急文化会館跡地に都内最大規模のミュージカル劇場を建設する予定であるぜ。

1970年代から、PARCO・OIOIの進出やシブヤ109の誕生やなんかで、若者のファッション文化の発信の地として原宿と並ぶ地位を確立していたぜぃ。
1990年代にはギャルブームやメディアに盛んに取り上げられたことで、更に情報発信源として注目されるようになりやがったぜぃ。
百貨店の主たる顧客層の20,30代のOLが大人のファッションをリードし、10代の女性は109やパルコ、路面店やなんかで服を買い求めギャルファッションをリードしたぜぃ。
ギャルファッションが男性に波及したギャル男ファッションや、お兄系と呼ばれるファッションも渋谷から広がり、全国区になりやがったぜぃ。
ギャルファッションのイベントとして、渋谷コレクションが知られているぜ。
また古着店も多い。

 

バーコード
ブログ内検索
P R

Designed by IORI
Photo by 有毒ユートピアン

忍者ブログ [PR]